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【蒼穹のセイレーン】

【四】


<一九四一年>

西部戦線がジリ貧に喘いでいる時、僕はロシア相手の東部戦線を舞台に飛んでいた。
整備兵やパイロットを全く無視した断続的な出撃命令にまるで魔法の壷から次々に出てくるような敵機。
心身ともに健康のバイオリズムから掛け離れていた僕はスランプに陥っていた。
この前など夜間戦闘だったとはいえ、味方機を敵機と勘違いして逃げ回ってしまうという失態を演じてしまった。
こんな時、僕は"神父"の話を聞くようにしている。
神父といっても宗教的な役職を指しているのではない。東部戦線に配置された時に知り合った日本人のパイロットのあだ名である。
彼の名はケイゾウ・ノギ。
何故、日本人がこんなところにいるのかは皆、不思議がりはしたが、彼の温和で風格のある性格と日本人独特の勇壮さと一流の腕は誰もが認めていた。
配置された時期が僕と同じだった為か、僕は彼と打ち解け、また彼も八歳も年長であるのによく僕の悩みや愚痴を聞いてくれては
丁寧な口調でアドバイスを説いてくれるのだった。
神父というあだ名をつけたのも僕である。彼の落ち着いた低い声で形成された話を聞くと自然と自分の中の感情の波が静まり、真面目に聞き入ってしまうのだ。
そして、あの優しそうな目でこちらの瞳を除きこまれると、どうも嘘がつけなくなるし、話すまいと決めていた事もぺらっと話してしまう。それゆえのあだ名である。
その事を彼に告げた時、彼はほんの少しだけ眉をしかめて苦笑いをしただけだった。 
とにかく、彼は僕にとって兄のような存在だった。
そんな彼の部屋のドアを開けた時、僕の顔は相当やさぐれていたのだろう。
彼は少し驚いたように瞳を大きくさせたが、すぐに読みかけの新聞を閉じて僕にソファーに座るよう勧めてくれた。
「疲れているようだね。君がこの部屋に入って来た時、君の心は同伴してなかったようだけど?」
「多分、滑走路のどこかに転がっているよ」
そう僕が答えると彼はくすくす笑いながら、コーヒーを淹れてくれた。
陶器のカップが手の平を介して温もりを伝えてくれる。どうにか一息ついたといったところか。
「何を見ていたんだ。神父」
彼がさっきまで見ていた新聞に視線を移す。その瞬間、少し彼の表情に曇りが垣間見えたような気がした。
その新聞を凝視してみると・・・・・・読めない、全く。
まるでミミズのダンスといったような文字ばかりだ。おそらく日本語なのだろう。
「・・・・・何もやり遂げる事もなく、ついには消えたか・・・・」
「?」
彼が無意識に口にしたのも日本語だったので、僕には聞き取れなかった。
僕が無言のまま目をしぱしぱさせていると彼はようやく気が付いたように笑って見せた。
「何でもないんだ。離れていても一人前に母国の事は気になるようでね」
何かあったのか、と言う言葉が僕の喉に出掛かったが、躊躇った後、僕はその塊を飲み込んだ。
ノギが過去を詮索されるのを嫌っているのを知っていたからだ。
「そう言えば、どうしてここへ?」
「最近、スランプなんだ。なんとかならないかな?」
「私に話してなんとかなるのだったらいくらでも相談にのるが、それは君自身の問題だろう」
全くの正論だ。正直に言うと僕自身、そのぐらいの事は理解できていた。
それでも僕は彼に救いを求めているのだ。
その様子を見て取ったのか、彼はいつものふっ、と目を細める柔らかい笑みを浮かべるとこういった。
「では、君に道を示そう」
そして、いきなり僕との模擬戦を持ちかけてきたのだ。
勝てる訳がない。
僕のスコアは未だに九機、それに対してノギのスコアは二十七機。まるで獅子が子供の猫に決闘状を叩きつけるようなモノである。
僕がそういうとノギは意味ありげにウインクしてみせた。
「なんとかしたいんだろう?」

上官に哨戒飛行と言う事で許可を採ると飛行服に身を包んだ僕達は爆音ともいえるエンジン音の中、お互いのメッサーシュミットbf109に乗りこんだ。
「遠慮はいらない。私の背中を取ってみせてくれ」
と相変わらずの、のんびりとした口調が無線から入ってくるが僕はかなりテンションは低い。
クルーが発信指示を出す。僕は重い気分のまま、重い翼を空にはためかせた。
高度二千といった所でノギからの無線が入る。
「よし、一度水平交差したらフリーファイトだ。相手の尻を取った方が勝ち。では、始めるとしよう」
彼のメッサーがスピードを上げて離れていく。そして暁に重なった瞬間、旋回してこちらに機首を向けた。
そして、空気の分子をも切断するかのようなギリギリの交差。
「くっ」
気流に飲み込まれた僕は機体の態勢を乱してしまった。それほどの鋭い突っ込みだったのだ。
ようやく機体のコントロールを回復させて当たりを見まわすが、ノギの機体が見当たらない。
「くそっ、やられた!!」
ノギが本気だと一瞬で思い知らされた。あちこちに視線を向けるが全く機影が映らない。
あるのはその巨大さを誇らしげに反らせている渓谷と山々、そして琥珀色に輝く墜の太陽・・・・・。
そこで僕はハッ、とした。
「太陽!?」
顔を垂直に上げて空を見上げる。暁から放たれた無限の光槍に目を撃たれ、手をかざし必死に目を凝らす。
革の手袋の指からこぼれる光の中に僅かな影が映った。居た!ノギだ!!。
彼は既に機首をこちらに向けて急降下の態勢に入っている。
僕は即座にスティックを左に傾け、フットバーを蹴ったくった。
「ぐっうううっ!」
無理矢理の力任せな左旋回をやった為、全身に呪いのようなGが襲いかかってくる。
かろうじてノギの第一閃をかわすと高度差ができた事に気がついた僕は、一計を案じて宙返りの要領で山の頂きに身を隠した。
そのまま、山陰に身を隠したまま低空で渓谷を抜けていく。
もし、操縦を誤って岩肌に激突するような事があれば。そういった不安がなかった訳ではないが不思議と僕はノギに勝つ事だけに夢中になっていた。
敵機を見失った時は誰でも索敵する為に高度を上げる。
高度を上げた時、機首が完全に上を見上げる。そこを死角である下から強襲して相手の進路を予測して撃墜する。
この下方からの進路予測射撃が僕の最も得意とする技だった。
僕はただ、じっと彼が堪えきれずに顔を上げるのを待った。
ほとんど賭けといってもいい戦法だ。もし自分より早く相手に発見されればこの狭い渓谷の中、上からカブられてダス・エンデだ。
だが、僕にはこれしかなかった。僕はノギがその行動に出る瞬間だけを待ち続けた。
そこで僕は懐かしい感覚にとらわれた。久しく感じる事ができなくなっていた物。
こういう時はなんていえばいいのだろう?
そうだ・・・・・・「楽しい、だ!」
叫ぶと同時に左正面のヤスリで研磨されたような一角からノギのメッサーが視界に入った。彼はまだ僕に気が付いていない。
僕は渓谷から踊り出ると彼の機体の脇腹目掛けて突進した。
上昇すると共に心地良い加速感が僕の上半身に身体を預けてくる。このまま成層圏へ飛んで行けそうな心地。
そう・・・・。
「これだ!、来たぁっ!」
そう僕が勝利を確信した刹那、ノギの機体が僕の視界から消失していた。
「なっ!?」
今まで見ていたノギの機体がまるで幻であったかのように。
そんなはずはない!、と中々、意識が自分の常識内で現実を受け入れようとしない。
「どこに!?」
僕がそう叫ぶ為に口を開こうと唇の形を作った時、ノギの機体が既にスピンをしながらズバァッ、と僕のケツに斬り込んでいた。
そこでようやく沈黙しつづけていた無線機が自分の役目を思い出したように喋りだした。
「これが”木葉落し”さ」
低く穏やかないつもの神父様の声。
「惜しかった。本当にもう少しだったよ、実際。もし君と私との距離がもう五十メートル短ければ君の勝ちだった」
そんな事よりも僕は今、目の前で起こった現象の説明を求めた。
「機体を失速させてからの急降下反転。その後、落下速度を利用して機体の速度を回復させると”捻り込み”の要領で相手の腹かもしくは後ろからの射撃。これすなわち”木葉落し”」 
いささか時代の入った口調で説明するノギに苦笑いをしながらも、僕は負けを認めた。
「この勝負の勝敗などさして大切ではないよ、フランツ君。大事なのは君の心だ」
「え・・・・」
「君は疲れていた。そう・・・だが、それは一体、何に対してだ?」
「それは・・・・」
僕が言葉に詰まっていると彼は穏やかだが、少し力強く話し始めた。
「では質問を変えよう。フランツ君、君は人殺しが好きか?」
痛かった。彼のこの質問は僕の心に無造作に爪を立てた。
「ち、違う!。それは違うよ!神父っ!!」
「ならば何故、戦闘機に乗る?。何故、人殺しをやらなければならないような人生を選んだんだ?」
彼の一言一言が僕の心の中で溜まっていた灰色の本音を音を立てながら穴を穿つ。
「それは・・・空が、空が僕にそうさせたから・・・。僕にはそう思えたから、そうする事しか思いつかなかったから!」
まるで馬鹿の一つ覚えのように僕の声帯からは”空”という単語しか紡ぎ出さなくなっていた。
「違うんだ。違うんだよ、神父」
「解っているよ」
え?、と操縦席の中で俯かせていた顔をはっ、と上げた。
「そう、我々はこの空でしか生きられないようになってしまっているんだ。我々はもう、この生き方しかないんだ・・・・」
「我々って?」
この複数形の言い方に疑問を持った僕に対して彼はゆっくりと自分の過去を話してくれた。
昔、自分もこの蒼穹の空に恋焦がれて翼を持とうと決意していた事。
まるで春の陽光のような女性と知り合い、その人と愛を育んだ事。
その最愛の女性を”空”で失ってしまった事も全て・・・・。
「私は憎んだよ、この空を。私を魅了し、そして、私から全てを奪っていった神でもあり悪魔でもある、この蒼すぎる世界を」
彼の声にどこか彼自身を自嘲する成分が含まれ始めていた。
「だが、結局、私はこの世界に戻ってしまった。母国に止まり、悲しみに浸される事からさえ逃げだしてしまったというのに!」
「神父」
「聞き給え、フランツ君・・・・。これは宿命だよ、翼を持った者の。一度、翼に魅せられてしまった者には分け隔てなく呪いが掛かるんだよ。いいかい?、人間に翼なんて物はない。今、君が感じている鎖は翼を手に入れる為に支払った代償なんだ!」
声が震えていた。どんな戦闘でも揺るぎもしなかった彼の翼が、震えていた。
「見つめるんだ、この世界を」
ああ、と僕は嘆息した。
今、僕の目の前には無限の蒼が広がっている。それが夕日に染められ、美しすぎるグラデーションを映し出していた。
自分の翼が光を乱反射し、まるで暁の女神に接吻を施されたように赤く、貴く。
忘れていた。空がこんなにも無限であったのを。こんなにも綺麗だったのを。
自分の中にあった灰色の疑念がそれを感じさせる余裕を奪っていたのだ。
それ以前に僕は自分の最も信じれる事さえも忘れてしまっていた。
そうだ。結局、自分はこの蒼穹の魔女に魅せられた人間なのだ。
「もういいよ、神父。僕は恐れていたんだ」
その言葉を聞くとノギは納得したかのように僕の機体に翼を並べた。
秋の終わりを告げる雲を下方に感じながら飛ぶ僕達は、大地からは一体、どのように映っていたのだろう・・・。


今回のタイトルは「木葉落し」(コノハオトシ)
まぁ玉にはストレートを投げないと、変化球ばかりじゃ野球できませんしね<野球じゃねって(笑)

さて実は俺(elseif)も若干小説(オリジナル)を考え中です。
大まかなプロットは出来上がっているので、肉付けをしていくといい感じですかね。
でも、発表は後でします。
俺って気が変わるのが早いので(笑)


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