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<一九三四年>
アドルフ・ヒトラーとの出会いから、はや三年の歳月が流れた。
この間、ナチスはかなり危ない時期があったが、奇跡的にそれを乗り越え、今年、一月十五日に行われた選挙でナチスの得票率はなんと三十九・五%。大勝利に終わり、三十日の午前十一時、ヒトラーが宣誓して首相に就任。
とんでもない事になってしまった!。
先の事は、わからないものだ。だが、こうなるとヒトラーが言っていた空軍の話も期待できるかもしれない。
そう思いながら卒業式を去年終えた僕は何故か、スペインにいた。それも高射砲部隊で。
これには僕自身、訳が全く解らなかった。
卒業後、軍隊に入隊した僕は辞令のまま、そこに送られたのだ。
そこが高射砲部隊だと知らずに僕が整備兵に「あ〜君、僕の機体はどこに?」と聞き、大恥をかいてしまった事は秘密である。
しかたなく僕は空軍が結成されさえすれば転属願いを出せばいい事だ、と自分を慰めて、全く浪漫の欠片も見当たらない高射砲の座席にムッツリと座り込んだ。
だが、まだドイツに空軍ができる、という噂は僕の耳をかすろうともしなかった・・・・。
一方その頃、ドイツ国内では組織の編成が急ピッチが行われ、メッサーシュミット社やハインケル社等が機体の設計、製造をし
BMWやロールスロイス・ベンツ等がエンジンの開発、量産化の体制を整えていたのだ。
そして更に一年の歳月が過ぎ、ついにその時は来た!。
一九三五年三月。
ドイツは空軍が創設されたことを全世界に通告し、同十六日ベルサイユ条約の軍事条項の破棄を宣言し、三十六個師団の陸軍創設を発表した。
これに対し、諸国の反応は至って穏やかだった。
新生ドイツ空軍の初の実戦参加は翌年の七月。スペインで発生した内戦がデビュー戦だった。
ドイツに援助の要請が来ると、十日後には部隊を編成してスペインに送り込んだ。
ドイツ空軍復活の報をスペインで知った僕は上官に転属願いを何度も出していた。
そして何度目かの訴えを届けようと上官の部屋をノックしようと右手を上げた時だった。
中から何やら話し声が聞こえてくる。
少し迷った後、軽くドアをノックすると上官の声がドア越しに僕に届く。
「誰だ?」
「はっ、フランツ・シャル曹長であります」
「そうか、入れ」
おそらく来客中だから後回しになるだろうと思っていたのにすんなりと入室を許可された。
「今、ちょうどお前の事を話していた所だった」
上官のものではないバリトンが僕の耳に届いた時、僕は我が目を疑った。
現在はドイツ空軍総司令官であるヘルマン・ゲーリング元帥がそこに仁王立ちしていたのだ。
やはり僕は相当驚いていたのだろう。
彼は厚い頬をつり上げながら冷笑した。どうやら彼は噂通りの人間らしい。
そして上官と二、三言葉を交わした後、彼はいきなり「では、彼を預からせてもらう」と、僕の上官を超然と見下ろして、堂々と
(と言うべきだろうか?)言い放った。
「?」
いきなり過ぎる事実に僕の思考回路はいささか凍結を起こしかけている。
「何をしている?、行くぞ」
「は?」
全く話の先が見えてこない。
呆然としている僕にゲーリング元帥はイラついてきたのか、こめかみをピクピクさせながら説明し始めた。
「お前は何故に自分がスペインに配属されたのか解っているのか!?」
「ネインです。閣下」
僕は正直に答えた。
すると彼は自分の怒気を吐き出すように深いため息とつくと、こめかみを抑えながら表情をどうにかして引き締めたようだった。
「総統閣下直々のご指名だ。君は本日付けでコンドル部隊所属となった」
コンドル部隊とはスペインで作戦行動するドイツ軍の航空・対空火砲部隊の名前を指す。
ようやくそこで僕は全てを諒解した。
つまり、人生の本道への道が僕の前に開けたのだ。
「あ、ありがとうございます閣下!」
心からの敬礼を施しながら、僕は飛び上がらんばかりに驚喜を満喫した。
そして柄にもなく神様にあの店でアドルフ・ヒトラーと出会わせてくれた偶然を感謝した。
何も知らずに航空学校に通うための荷造りをしていた時のように浮かれながら身の回りを整理していく。
だが、あの時のモニカように僕を留めてくれるような存在はこの場にいはしなかった。
その後、高射砲部隊を後にした僕は短期間の研修を終えるとすぐにコンドル部隊に准尉として着任した。
もっとも、最初の内は酷いものだった。何しろ新型戦闘機の配備が間に合わなかった為、この戦いでは、旧式で車輪が翼に引き込めない固定脚の複葉機を使っていたのだ。
その所為か、当初は偵察が主な任務で、敵戦闘機を見たら逃げろと命令されていた。
しかし、翌年メッサーシュミットのBf109(ドイツのベストセラー戦闘機。日本で言えば零戦に相当するかもしれない。第二次大戦の終結までに三万五百機ほど生産された。ただ、零戦と違う点は零戦がほとんど進化・発展しなかったのに対し、こっちは常に新しい技術・装備で強化していったと言うところだ)と言う戦闘機の配備が始まると状況は一変。
ドイツ空軍部隊は攻勢に出た。
「なぁ、フランツ。お前、確かこの前でスコア五機目に到達したんだろ?。これからどうするんだ?」
そうなのだ。
撃墜される事もなく、生き延びられたと言う点では運がいい方なのだろうが、ここでは五機撃墜し、エースの称号を得ると自動的に本国へ帰還し、飛行学校の教官になるのが通例だったからだ。
ただ、どんな所にも例外がいるようで、十四機撃墜した強者もいる。ヴェルナー・メルダースと言う人物だ。
彼は五機撃墜すると本国に帰される事を嫌い、戦果を故意に隠していたのだ。なにしろ、教官になってしまえば、戦闘機に乗って空を飛ぶ機会はほとんど無くなってしまう。飛行機好きには、これは辛い。
「僕もメルダースの方法でいってみるかなぁ・・・・」
「ああ、そいつはもう不渡りだ」
「?」
「本国にばれちまったらしくてな、戦闘機部隊査閲官へ一直線」
同僚はいたずらっぽく手の平を自分の頭の上あたりから地面へ向かって下げる仕草をした。いわゆる墜落ポーズである。
よくない。それは非常によくない。
僕から翼をを取ったら一体、何が残るんだ!!。
そう思っていたら、気まぐれな神様がもう一度、僕にチャンスをくれた。
幸か不幸か、ドイツにとって運命的な出来事が起きた。チェコスロバキアの解体占領と言う事態が発生したのだ!。
この結果、ヨーロッパの国際情勢は決定的に悪化し、ヒトラーは、ポーランドへの侵攻作戦を開始した。
イギリスやフランスと言った軍事大国も指をくわえて見ていたわけでわない。
実はこの時、イギリスは、眼の上のこぶであるドイツをこの機会に潰そうとしたのだ。
イギリスは、ソ連のスターリンと手を組んでドイツを挟撃しようとしていた。フランスもこれに同調していたのだが、この作戦はもろくも崩れさる。ヒトラーが一足早く、スターリンと不可侵条約を結んでしまったのだ。
結果として、ドイツはポーランド侵攻に集中でき、9月1日に始まったこの戦いは同二七日に終了した。
勢いに乗ったドイツは翌年五月ベルギー・フランス軍と開戦した。イギリスも支援を行ったが、ドイツの進撃を止められず、六月二四日パリは落ちた。
これに慌てたのはソ連だ。このままイギリスが落ちて戦争が終われば自国の領土拡大が出来なくなってしまう。スターリンは急遽バルト三国を吸収した。
一方、ドイツがパリを落としたと言うニュースは地球の裏側、日本にも届いていた。
この時、日本は『支那事変』と言う悩みの種を抱えていた。
日本の首脳陣はドイツと同盟を結び、この戦争に参加、悩みの種を踏みつぶそうとしたのである。
だが、これがイギリスの参戦要請を拒み続けていたアメリカを参加させてしまう結果となるのだ。
ソ連のバルト三国の武力占領はヒトラーを怒らせるのに十分だった。ヒトラーはイギリス攻略半ばでソ連との不可侵条約を破棄、開戦を決意する。『バルバロッサ作戦』の始まりだ。そして、それはドイツ帝国の破滅の始まりでもあった。
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