【蒼穹のセイレーン】

【二】


<一九三一年>

どうやら僕と同じ思考をした人間は少なくなかったらしい。
「類は友を呼ぶ」と言うべきだろうか、いつかは栄光のドイツ空軍が再建されるかもしれない、との想いを胸に各地の空に等しく憧れる奴ばかりが僕の周りにいた。
すぐに学友もでき、色々とつるんでは意地の悪い教官や寮長達に嫌がらせを考え、大きな声では言えないような本を仲間内だけで回したりもした。
それでも留年するような事もなく、単独飛行を何とか終了させた僕達は時間を持て余した。
航空学校の最年長学生ともなれば門限破りなどしょっちゅうである。
暇さえあれば街中の居酒屋に顔を出そうとする。
ただし、さすがにパイロットの卵と言うだけあって、皆それぞれ己の酒量をちゃんと弁えていた。
何故なら空では地上との気圧差によって血管が拡張され、体内に少量でもアルコールが残っていようものならば飛行中に酔っぱらってしまうからだ。
酔っぱらったまま空戦技を行うなど昨夜の夕食との再開を予約するようなものだ。
ところが今日は「自分はまだ酒が残っているのか」と次の日、首を捻ってしまうような出来事があった。
それは僕達が”はしご”をして二件目の居酒屋のドアをほろ酔い気分のまま勢い良く開けた時からだった。
店内にいる客や店員やらが全員が一斉にこちらを向いた、と言うより視線を突き刺してきたのだ。
その証拠に全員がおよそ好意的と言えるものではない表情をしている。
薄情にも僕達の酔いは一瞬の内に裸足で逃げさり、後に残されたのは引きつった笑顔だけだ。
どうも良くない。
沈黙が時間を凍結させてしまったような空間の中で、ようやく誰かが二階からこちらに向かって降りてきた。
落ち着いて良く店内を見まわしてみるとテーブルや椅子は隅に押しやられ、積み重ねられている。
おそらく演説か何かを二階からやっていたのだろう。
僕達はそれを中断させてしまったらしい。
それ以外はなんとなく自分達にとって、とてつもなく良くない事が起きようとしているという事だけが本能的に悟れた。
「おい、なんかヤバくないか?」
そんな事はとっくに解っている。この痛すぎる視線の集中砲火で。
「帰ったほうが良さそうだぜ、フランツ」
おそらくそれが最善の道だろうと僕も心底思ったので、僕達は背中の方向に向けて全力疾走するのを目線で確認しあった。
「待ち給え」
退散しようとしていた僕達にとても歯切れの良いドイツ語が投げかけられた。
振り向くと二階から降りてきた男がしかめっ面をしてこちらを凝視していた。
歳は三十代半ばといったところだろうか。
さして高くも無い鼻の下にちょび髭をはやし、腕に何らかのマークが入った腕章をはめている。
その彼がつかつかと歩み寄ってくる。中断された演説の苦情でも言うつもりなのだろうか。
神妙にしている僕達の予想に反し、接近すると彼はいきなりにっこりして握手を求めてきた。
「やっ。始めてみる面前だね、この店に来るのは初めてかな?」
意外な展開である。
僕は曖昧に答えながらつられたように右手を差し出した。
その手をぎゅっと握り締めると彼のごつごつとした手の平を感じる事ができた。
彼は相変わらずにこにこしながら次々に呆気に取られている僕達の右手を握っていく。
「はじめまして。私はアドルフ・ヒトラー」
「!」
「ヒトラー!?」
それは最近、赤丸上昇中の”突撃隊”の指導者であり議長の名である。
今までいぶしがっていた男が世間から『ハイル・ヒトラー』と連呼されるような有名人だと知って、僕は心臓が三段跳びを演じるのを体内に感じた。
「どうやら私の事を知っているみたいだね。ところで君達は?」
「は、はぁ、航空学校の生徒です」
そう答えるとヒトラーは笑顔をさらに少年のそれのように晴爽に変化させた。
「素晴らしい!。すると君達は将来、我がドイツ空軍のエース候補生なのか!?」
いくら有名人とはいえ、さすがにその発言には疑念を抱いた。
一番酔いの回っていた友人が「オッサン、気は確か?」とおくびもなく言ってのけたが、僕にも似たような思いはあった。
するとヒトラーはオッサン呼ばわりされた事を少しも気にせず、さらに続けた。
「確かに今、我れらが愛すべきドイツは大国の言いなりになってしまっている。しかし、それは必ずしも我々の本意ではない。
いずれナチス党が政権を執る日が来た暁には、ドイツ空軍を必ずや、復活させる。君たちに約束しよう!」
ヒトラーの言った言葉は僕にはよく言っても非現実的な妄想としか言いようがなかった。
ナチス党。
彼らの組織は小さいとは言わないが、彼らより大きい組織は当然存在する。となれば、政権を取る確率はそっちの方が高い。
なにしろ、組織が大きいと言う事はそれを維持する莫大な資金を提供してくれる企業がバックにいる事に他ならない。
しかも、こう言った企業は保険のために優先的にフォローする組織の他に別組織にも資金提供する場合が多い。
もし、ナチスが政権を取ろうと勢力を拡大してきた場合、ひいきの組織が別にある企業がナチスへの資金提供をカットする可能性がある。
さらにナチスは二流の地方的企業からの資金提供が多いが、一流の大企業など財界の著名な連中はナチスに見向きもしていない。
つまり、ナチスはライバル達と戦う前にこれら企業と戦わなければならないのだ。
それを考えるとナチスが政権を執る可能性は低いと言わざる終えない。
また、仮にナチスが政権を執り、空軍を復活させたとしてもベルサイユ条約が有る以上、大国の圧力で潰されるのが関の山だ。
どだい無理な話なのだ。
なんとも言えない顔をしていた為か、彼は僕の表情を読み取ったかのように言った。
「良ければ君の名前を聞かせてもらえるかな?」
「あ、はい。フランツ・シャルと言います」
「ふむ。君にその気があれば我々はいつでも君を歓迎するよ」
ヒトラーはそう会話を締めくくった。
彼との別れ際、僕は”無理なはずだ”と何度も心の中で反芻させた。
だが、だが。
僕達が酸味の強いザウァークラウトを食わされたような表情で店を去る時、僕は見たのだ。
ヒトラーの右側に付き添うように立っている男の顔を。
忘れもしない、忘れるはずがない。
きっちりと撫でつけたブロンドと皮肉屋のハンサムように見える顔立ち。
ヘルマン・ゲーリング。
かつて、あの「レッド・バロン」と共に空を翔けた勇者。
バロンの亡き後、リヒトホーフェン・サーカス隊、最後の隊長を務めた男。
僕はヒトラーの言葉を心の隅に留めるだけの価値があるかもしれないと思った。


第2話です。

前回と同じくタイトルでもつけてみます。
「出曖」
・・・やべぇ、あってるかも(笑)